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催眠暗示の技法に関して。

こんにちは、TAKKです。

■■■注意事項■■■
前回の最後にお知らせしていた通り、今回は催眠の技法をいくつかご紹介いたします。
どちらかというと『催眠作品を作ってみたいのだけれど、何をどうすればいいかよく分からない』という方に向けた内容になると思われますので、純粋に作品を楽しみたいという方は、いわゆるネタバレ的な要素を多分に含みますので(前回に引き続きで申し訳ございませんが)お読みにならないほうが良いだろうと思います。


まずはじめに……手法を3種類に分類してみたいと思います。これは、NLPのように(その有効性はどうであれ)手法を体系化しようという試みではありません。ただ、千差万別の催眠技法をご紹介するにあたり、『数字における素数のような何らかの構成単位を定めれば面白いかもしれない』という思いつきからのことです。ゆえに、この分類法は何らかの学術的な根拠に基づいたものというわけではありませんので、その点は、ご留意下さいませ。

さて……催眠状態への誘導や操作の手法は、その全てが下記の3種の要素のうちの何れかひとつ、もしくは複数を主として構成されているものだと言えます。

a.方向性
b.イメージ
c.パルス(アクセントと非アクセント)

以上の三つです。

――『方向性』とは。
前後左右、上下などへの移動を喚起するもののみならず、何かに意識を集中させるものや、思考を特定の向きに促すものもこの要素に含まれます。「落ちる」とか「浮き上がる」という直接的な方向性の表現から、カウントダウンなどの数唱技法による(数の減少or増加という)間接的な方向性の表現まで様々です。意識を集中させるもので有名なのは、渦巻きなどの、ヒプノディスクと呼ばれる類のものでしょう。また、導入においてエレベーターや電車などに乗っていることをイメージさせるのはよくある表現ですね。

――『イメージ』とは。
シュルツの自律訓練法などに代表されるもの。基本的に「○○をイメージしてみましょう」というものは、全てこの要素を含んでいると言えます。ただ、当然と言えば当然な話ですが、なるべく誰でも経験のある感覚や物をイメージするように促すのが好ましいでしょう。両手の温かさを喚起させるなら、あえて限定的な言い方で注意を引くというような意図がない限り、コーヒーカップを手にしたり太陽に手をかざしているといったような平易なイメージを喚起するようにし、温かさからリラックスへと繋げたい場合などは、夏場の蒸し暑さよりもお風呂や布団の中のイメージのほうが良いでしょう。当たり前じゃないかと思われるかも知れませんが、意外とこの『誰でも経験しているであろう』という点を突き詰めるのは難しいことなのです。例えば……睡眠や食事、排泄などは誰でも経験しているものと断定できますが、温かさから幸福感などを促したいときや、ボーっとした感覚を促したいときなどに「お酒に酔ったような」と言う場合、それが伝わるかどうかは確実ではありません。お酒に酔った経験のない場合もあれば、酔うということに肯定的なイメージを持っていない場合もあるからです。と言って、あまりに平易な表現を繰り返されると覚めてしまうという場合もあるようで……このあたりは、音声作品という形態ゆえの悩みとも言えますね。

――『パルス』とは。
これは物理学でいう矩形波のことではなく、音楽でいうところのパルスで、律動やリズムと言い換えても構いません。リズムではなくパルスとしたのは、この要素が『リズムを維持すること』のみならず、『意図的にリズムを崩すこと』を含むものだからです。括弧内で『アクセントと非アクセント』としているのはそのためです。先ほど『物理学でいうところの矩形波ではない』と言いましたが、オベパルスやヘミシンクなども催眠技法として考えるなら、この『パルス』に含まれるでしょう。指をパチンと鳴らしたり、口調を急に速めたりする手法も、これに含まれます。ヘミシンクはパルス(等間隔のリズム)、指を鳴らしたり口調を速めたりするのは、パルス(アクセントと非アクセント)ですね。ただ最初にも言ったように、速めたり大きな音を出したりするのに限定されるわけではなく、それまでの流れから外れた(外した)音を用いるもの全てを『パルス』に分類しています。例えば「ゆっくり深呼吸してみましょう」というような指示を口にする際に、この「ゆっくり」の部分をスローに読み上げるのはよくある技法だと思いますが、その場合は『スローペースな口調』がアクセント、『それまでと、それ以後の通常の口調』が非アクセントになり、パルスに分類されます。

最初に申し上げたように、これら3点は素数のようなもので、これひとつで構成される技法もあれば、複数で構成される技法もあります。例えば、催眠のステロタイプな形として漫画などによく登場する『ヒモ付きの五円玉』を分類するとすれば……まずは、揺れを注視するものであるためa.『方向性』の要素を含み、また、一定のパターンで動くのであればc.『パルス』の要素も含みます。さらに、五円玉を実際に用いるのではなくイメージさせるのであればb.『イメージ』の要素も含むでしょう。そのため、『ヒモ付き五円玉技法』はabc.全てに分類することができます。……しかし、要素が多いほど複雑化する傾向にありますので、五円玉技法は比較的に使い勝手がよくない部類のものと言えるでしょう。また、インチキなイメージが付きまとうため使い難いとお考えの方もいらっしゃるかもしれませんね。それは確かにその通りなのですが……五円玉でなくクリスタルのペンダントだとか時計の振り子といったように、揺れる小物を変えているだけで技法として同種のものを使用している作品は数多く存在します。それによって効果が変わるのかは定かではありませんが、たとえ同じ手法であっても、そうしたガジェットのチョイスが作品の個性を定めるのは確かなようです。ちなみに、エレベーターをイメージさせる導入法もよくあるもののひとつですが、これは『イメージ』と『方向性』の2点に該当しますので、ab.であると言えます。このように、気になった技法などがあればよく観察し、要素ごとに取り出して見てみると意外な発見があるかもしれませんね。

蛇足かも知れませんが、これら催眠技法のすべては『意識を正負、いずれかに偏らせること』を目的としていると言えます。“正”とは意識を一点に集中させること。“負”とは意識を均等に分散させることを指します。

分類に関しての説明は以上です。
最後に、こうして分類された技法を用いる際に使われるテクニックに関してです。つまり、言い回しや表現方法に関してですね。使いやすく有名なものとしては『許容的表現』などがありますが、そうした作品全体の方向性を決めるようなものではなく、今回は、より限定的なテクニックとして広く用いられているものの中から、『散在』と『前提』の2つをご紹介いたします。(ちなみに、この『散在』や『前提』という言葉は、わたしが勝手に作った先の分類とは違い、エリクソンに学んだ弟子の一人であるW.H.オハンロン氏とM.マーチン氏の書籍の翻訳からの引用でございます)

――『散在』とは。
ある指示を分散して言葉に紛れ込ませ、間接的に伝えるという手法。仕組みとしては、ある種のサブリミナルのような効果を狙ったものだと考えれば分かり易いと思います。文章にすると次のような形になります。

トランスに入るとはどのような感覚なのか、わたしにはよくわかりません。しかし、トランスに入るという言い方って、よく考えれば不思議なものですよね。催眠にかかるとは言いますが、トランスを感じることをトランスにかかるとは言いません。催眠に入るという言い方は、眠りはじめるというより、術者が催眠を開始するという意味のほうが大きく、催眠にかかるという意味には取り難いように思われます。語義的にも文法上も、トランスとは睡眠に近いものなのかもしれませんが、眠りに入るという言い方は、“すべからく眠る”というような誤用表現ほどではありませんが、個人的にはちょっとした違和感を覚えてしまいます。また、眠りに落ちるとは言いますが……トランスに落ちるという言い方は……うーん、わたしはこれも眠りに入るという言い方と同じく、なんだか可笑しく感じられますね。リラックスに入るというのも……うん、ちょっと可笑しい感じがします。そう考えていくと、トランスとは少し特別なものなのではないかと思えてくるのです。よく『トランスに入れば、すぐにトランスに入っていると分かる』などと言いますが、ひょっとするとそれはその通りで、それほどトランスというものは特別な感覚ということなのかも知れませんね――」

と、このような感じですね。音声作品の場合、これを普通のペースで話し続けるのがベターな形だと思いますが、太字にした部分を少し強めに読んだり、テンポをわずかにスローにしたりすることで意図的に目立たせるという場合もあります。というのは、実際の対面で行われる催眠においては、相手が『指示されること』に抵抗感をもっているかどうかを図ることができますので、指示されることを嫌っていない場合は、散在している言葉を目立たせることで、その発見がスムーズになるような方向に導くこともあるのです。この例文の場合は、黒字の部分から施術者の意図するところが分かるかと思われます。関連性はハッキリしませんが、精神分析の手法にも似たようなものがありますね。

――『前提』とは。
これにはいくつかのバリエーションが存在しますが、その中でも最も簡単なものは“選択の幻想”と呼ばれる手法でしょう。次のような言い回しをします。

「わたしは占い師のように何もかも見通せる力を持っているわけではありません。だから、あなたに何かを強制したりはしないんです。あなたにとってベストな方法やタイミングは、あなた自身が一番よく分かっていることなのだとわたしは思います。ですから……例えば、あなたは自分の意思で自由にトランスに入っていくのかもしれないし、わたしの声に従うことで入っていくのかもしれません。そのトランスはごくごく浅いものかも知れないし、中くらいのものか、あるいは、とても深いものなのかもしれませんね。仰向けに寝そべった状態で入っていくのか、横になった状態で入っていくのか、あるいは、リラックスした状態で入るのか、緊張した状態で入るのか、それはあなたが決めていいことなんです。今すぐにはトランスに入らないと決めたって構いません。本当にあなたの思うとおりに定めて構わないのです」

と、こんな感じです。
これは一見すると聞き手に選択権を与えているように見えます。いえ、実際にある部分では選択して下さいと言っているわけですが、ここで言っている全ての言葉は、すでに『トランスに入ること』を前提にした文言であることがお分かりになるかと思います。いつトランスに入るのか、どのくらい入るのかを決めていいですよと言うことで、『トランスに入らない』という選択を意図的に排除しているのですね。無論、この文言だけでトランスに誘導できるというものではありませんが、実際の催眠や、催眠音声などの多くは随所にこうした仕掛けを置くことによって誘導していくように作られています。


というわけで、TAKKの作品は、こうした手法を用いて作られておりますよというご紹介でした。
また、余談ではありますが、こうした誘導の手法を今よりも細かく分類することは、催眠音声の次の段階へと進むきっかけになるかもしれません。……と言いますのも、筋電図を用いた意識状態の観察(表情筋を指標としたもの)により、『どの誘導法で形成されるかによって変性意識の形(質)は違ったものになる』という可能性が示唆されているからです。『トランスというものは存在する(状態派)が、その形はひとつではない』という考え方ですね。こんな言葉はありませんが、催眠というものの捉え方として分類するなら“多義性状態派”といった感じでしょうか。『喜びや悲しみや怒りなどを示す言葉には様々なバリエーションがあるように、トランス状態と一口に言っても、本当はいろいろあるのかもね』ということ……つまり、今はまだそれを示す言葉がないため、十把一絡げに“トランス”や“催眠状態”などと呼んでいるだけで、あなたが経験したトランスは、別の誰かが経験したトランスとは形の異なるものなのかもしれないということなのです。思春期にクオリア関連で悩んだことのあるような方々(わたしもその一人ですが)であれば、興味深いものだと共感して頂けるのではないでしょうか。……もっと詳しく知りたいという方は、 CiNii Articlesなどの学術総合データベースにて“変性意識 筋電図”などのワードで本文検索をしてみて下さい。日本語で記述されているものも多いので、何となく眺めるだけでも楽しめるのではないかと思います。

さて……しかしながらこうして書き記してみると、この『トランスの形は複数存在する』という考え方は、何とも不思議な感じが致します。もしかすると、将来、催眠状態やトランスの存在がより明確に証明され、人の示す反応にも何らかの法則性が見出せるようになったとすると、その頃の催眠音声作品のラベルには『どのタイプのトランスをもたらすものなのか』が一目で分かる“トランスの成分表”のようなものが表記されているかもしれませんね。巻きタバコのように、自分の好みにトランスをブレンドできるようになったり……ああ、そんな確かなものにいつの日かなればいいなと思う、今日この頃でございます。

さて、長くなりましたので、今回はこのへんで。
それでは、また次回!

現代催眠について。

TAKKです。
今回の雑記は、催眠の技法についての考察です。
手法や定義に関することですので、純粋に催眠音声を楽しみたいユーザーの方は、今回は、お読みにならないほうが良いと思います。

さて……皆さんは『現代催眠』という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
米国臨床催眠学会(ASCH American Society of Clinical Hypnosis)の創始者であるミルトン・エリクソンの手法を用いた催眠に対して、多くの場合、この言葉が用いられます。エリクソン催眠は様々な点においてエリクソン以前の催眠とは異なるので、区別するためにこう呼ぶのです。
エリクソン派の主張に反論する方々(わたしも一部においてはそうですが)にとって、この『現代催眠』という言い方はあまり好ましいものではないようです。何故なら『現代催眠』という言い方は、自動的に、エリクソン以前の催眠を古い催眠だとか、『古典催眠』としてしまうことになるからです。ちょうど『旧約聖書と新約聖書』という呼び方や区別の仕方へのユダヤ教徒側の憤りに近いものがあるというわけですね。そうした小さな反論はあるものの……この雑記内では便宜上、エリクソン催眠を現代催眠、それ以前のものを古典催眠と呼称することにします。その点、何卒ご容赦下さいませ。

それでは……まずはじめに、エリクソン氏に関する基本的なことから。
第一に、エリクソン本人が自らの手法についてを語ったり、記したりすることを嫌っていた節があるためか、彼一人の手によって書かれた出版本は一冊も無いということを理解しておかなければいけません。(共著という形で書かれたものや、論文などは存在します。また、これはエリクソンが患っていた身体障害もひとつの要因になってはいるのだろうと思います)――エリクソン本人による記述は非常に珍しく、わざわざ“付録”と銘打っているものもあるほどです。この点は、エリクソンや現在催眠を理解するのに重要な観点のひとつです。言うなれば、仏陀や、聖書の中の神の言葉と同じで、愛弟子などが「彼はこんな風な考えらしいよ」と伝えているというのが実情です。ただし、共著でないものでも『本人が書いたわけではないが、本人が目を通したうえで太鼓判を押した』という本や、エリクソン本人のカウンセリングを記録したCD(テープ)などは存在します。何れにせよ、一人を挟んで伝言ゲームをしている状態で声が届くようなものであり、どうしてもエリクソン個人の本意が読み解き難いものであるのは確かなのです。
そもそものところ……エリクソン本人は、自身の催眠手法を体系化していなかったように思います。それは自転車の乗り方や楽器の弾き方のようなもので、本人にとっては『出来て当たり前』のことであるため、『何をどうすればそうなるのか』を言葉で説明することは難しかったのでしょう。また、あとでお話しますが、現代催眠の定義からしても、『手法を伝える』ということは難解だったのだと思います。実際、オハンロン氏のワークショップ(実際に体験できる講座のようなもの)の記録をまとめた『ミルトン・エリクソンの催眠療法入門―解決志向アプローチ』という一冊の中で、あまりにも皆から催眠手法についてを問われるのでエリクソンは少しうんざりして「だってそうなるでしょ?」と応じていたという話や、トランス状態の定義を問いかけられた際には『体験してみれば自ずと分かることだよ』という趣旨の答えを返していたという記述があります。これは、個人的には日本の職人のようなもので、「教えてくれ? ばっきゃろ、見て盗みやがれってんだ」的なものだったのかしらと想像したりもしますが、とにかく、エリクソンはある種の天才タイプであったため、現在残っている現代催眠の手法の多くは、そのエリクソンから直接指導を受けたという愛弟子たちによるものであると理解してよいと思います。
さて、そのような現代催眠ですが……何が従来の催眠と違うのでしょうか?
最も大きな違いは、催眠というものに対するスタンスにあります。古典催眠が基本的には『人によってかかり易さがあり、絶対にかからない人というのも存在して、それはもうどうしようもないんです』というものであるのに対して、現代催眠は『かからない人は存在しない。悪いクライアントというものはなく、ただ施術者の良し悪しが存在するだけ』という考えを基本に置いています。この『誰でもかかるもの』という主張の根拠は様々ですが、ひとつには、トランス状態とは万人にとって身近なものであるからというものがあります。退屈な授業や睡眠に入るとき、朝のまどろみ、好きな音楽を聴いているとき、あるいは自転車に乗っているときやジョギングしている際に感じる白昼夢的な時間感覚の歪み(ふと気が付くと目的地近くまで来ていたが、道中の記憶はあやふやというようなもの)など、トランスに似た感覚は誰でも経験したことがあるでしょう。これを例にして、『トランスに似た感覚は誰でも経験したことがある、ゆえに、それを喚起するように誘導すれば誰でもトランスを感じることはできる』ということなのだそうです。ただし気をつけなければいけないのは、エリクソン派は『現代催眠であれば、誰でも催眠(トランス)にかけることができる』と言っているだけで、『催眠は誰にでもかけられるものである』と言っているわけではないという点です。そして、『喚起するように誘導すれば~』という点において、次にあげるような現代催眠の形態が必要になるのです。
現代催眠の特徴として有名なのが、許容的表現(~できます。~できるでしょう。~かもしれません。などの言い回し)でしょう。ですが、これはどちらかというと催眠そのものの手法に近く、現代催眠の主とするところではないように思います。現代催眠の大きな特徴とするのであれば、『観察』と『利用アプローチ』という2点のほうがより重要であると言えるでしょう。
『観察』というのはそのままの意味ですが、最も重要な点であると言えます。エリクソンは特に『観察』というものを重要視していたのだそうで、これを端的に説明するものとして、エリクソンに直接学んだ一人であるユング派の分析家・アーネスト・ロッシーとの話があげられます。エリクソンが被験者に催眠をかける場面に立ち会っていたロッシーが、ふと天井に目をやり、『彼はどのようにそれを行っているのだろうか』と催眠理論に関していろいろと考察していたところ、エリクソンに肘でつつかれ、次のようなことを言われたそうです。

「天井に患者はいませんよ。ロッシー博士、彼女(被験者)の顔を見なさい」

さて……このことからも分かるように、エリクソンは、理論というものにあまりこだわっていないか、それよりも臨床における実際的なことを重視しているように見受けられます。それは『利用アプローチ』という手法に通じるものでもあるでしょう。
利用アプローチとは、簡単に言えば『患者の示した反応は何でも利用する』という考え方です。有名なところではエリクソンを紹介する際によく引用される『椅子に座りたがらない患者』への対処などがあげられますが、それ以外ではオハンロンの『クスクス技法』などが良い例だと思われます。クスクス技法とは、学校恐怖症を患っている10歳の少年に対してオハンロンが数唱技法(音声作品では一般的なカウントダウンなどのこと)による催眠を施そうとしたところ、少年が(緊張からか、意識し過ぎたせいか)クスクスと笑いだしてしまったことから生み出されたものです。従来の催眠であれば、なるべく笑わないようにそれとなく促す場面なのでしょうが、オハンロンは逆に“笑い”を利用することにし、「18、笑っているのはトランスに入る一番いい方法かもしれません……17……と言うのも、大人は催眠というものを堅苦しく考えすぎる傾向にあってね?」などと続けます。つまり、笑いを拒絶せずに導入に取り込んで“利用”したのです。そうすると、カウントが5になったところで笑いがおさまり、少年は静かにトランスへと入っていったのだそうです。驚くべきはその後のことで、治療を終えた少年のトランスを解くために1~20へカウントしていくと、数字が5になったところで少年は再び笑いはじめ、その笑いは20になるまで続いたと言うのです。……さて、この話は本当だと思いますか? 中には『そんなのありえない』と思った方もいるでしょう。しかし、真相はどうであれ……オハンロンはこの記録を紹介した後に、次のような趣旨のことを述べており、それが現代催眠において最も重要なものであるとわたしは思います。

「この技法は『クスクス技法』と言います。しかし、これは私の技法ではありません。他の人の技法でもありません。これは少年の技法、彼だけの技法なのです」

――これは現代催眠の定義、現代催眠がなぜ『誰でも催眠(トランス)にかかることができる』と主張するのか、そして、どうしてエリクソンが手法を問いかけられるたびに面白くなさそうな顔をしたのかが良く分かる一文だと思います。現代催眠とは、観察によって得たすべてを利用し、個々にチューニングすることにより、被暗示性など関係なく催眠(トランス)に誘導するというものなのです。

さて、察しの良い方などはすでに不思議に感じていらっしゃるかもしれませんが……ここまで書くと、ふと、ひとつの疑問が思い浮かびます。それは『現代催眠を用いた音声作品は創作可能なのか』という疑問です。この雑記を書くきっかけでもあるのですが、何度か「あなたの作品は現代催眠なのですか?」と聞かれる機会がありました。ですので、この場をお借りしてお答えさせて頂きたいと思います。
TAKKの催眠作品は厳密に言えば現代催眠ではありません……というよりも、個人的な見解では、『現代催眠による音声作品』という言葉からしてすでに矛盾を孕んでいるように思われます。何故なら現代催眠とは、前述の通り、意識的なものであれ、無意識的なものであれ、『クライアントからのレスポンス』を必須とするものだからです。その作品を聞く人物が過去にトランス経験があるのか否か、または(過去の経験を喚起するために必要な)年齢の情報はおろか、場合によっては性別さえ限定できない上に、その視聴中の反応を観察することも適わず、当然『利用アプローチ』など取りようもないというのであれば、どれほど許容語を含んでみたところで、それは『許容的アプローチによる催眠』か、『現代催眠“風”催眠』でしかありません。当然、エリクソンの系譜という意味での現代催眠ではないのです。……語弊がないように付け加えると、「現代催眠“風”催眠だから効果はない」ということではありません。これは定義の問題というだけのことで、製作中のものも含めたTAKK作品もまた『現代催眠“風”催眠』だと言えます。この点は、先にあげた『許容語や許容的表現』や『分割と前提』などの催眠の手法の紹介にからめて、また別記してみたいと思います。


長くなりましたので、今回はこのへんで。
それでは、また次回!

あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます、TAKKです。
今回は雑記というよりも宣伝色が強めです。新年早々ごめんなさい。

まずはじめに、本日から16日までのあいだDMM様で開催中の半額キャンペーンに我々TAKKも『Hypnotic Dystopia TypeA ~ヤンデレA.I.と爬虫類エイリアンズの快楽調教責め催眠~』で参加中です。可能なら事前に告知しておきたかったのですが、サプライズとして伏せておいて下さいとのことでしたので、開催後のお知らせとなりました。TAKKの作品以外にも300件ほどキャンペーン作品があるようですので、興味のある方はトップにあるHDTypeAの記事かこちらからDMM販売ページへどうぞ。


続きまして、新作の進行状況等の告知です。
『Hypnotic TSF(以下、HTSF)』の最新情報をお伝えするとお知らせしておりましたが、製作状況の事情で、今回は別作品のご紹介となります。と言いますのも、複雑な構造になるHTSFの編集作業のロードマップを計算したところ、以前に少しだけお伝えした別作品のほうが早くに完成することになるかもしれないと分かったからです。まだ確実にそうと決まったわけではありませんが、今回はそちらの一作の概略を告知させて頂きたいと思います。
タイトルは『Hypnotic Orient(仮)』で、エジプト神話を題材にした一作です。TSモノではなく、快感による絶頂を通じてのドライによる恍惚感を目的としています。具体的には、古代エジプト人の死生観に同調して頂いた後に、ミイラ化、審判、昇天、復活という順序で進む作品になる予定です。審判とは、死者の書(Coffin Texts)に登場する“心臓の計量”の場面をモデルとしたもので、楽園(絶頂)へと至るために魂が清らかであるかどうかをラーの天秤とマアトの羽根でチェックされるというもの。……詳細はお楽しみとしておきますが、その中でのプレイ内容は、永遠の処女であるイシス様に騎乗位で連続絶頂させられて欲望を徹底的に吸い出され、浄化される……と、大まかに記述するとだいたいそんな感じになる予定でございます。
こうした魂の計量はプシュコスタシア(psychostasia)と呼ばれ、神話などではよく見られる題材なのだそうですが、エジプト神話におけるそれは他のものに比べても暗喩が実に見事で、ウットリしてしまうほどです。これ以外でも古代エジプトにおける死生観はとても興味深いものですので、興味のある方は調べてみてください。

さて、そういうわけでTAKKからの告知と雑記でした。
どちらが先に完成するかはまだ分かりませんが、何れにしても販売時期は3月あたりになりそうです。
もうしばらくお待ちくだされば幸いでございます。


今回はここまで。
それでは、また次回!

年末のご挨拶とTSに関して。

本年も押し迫って参りました。
皆様、いかがお過ごしでしょうか。TAKKです。
少し間があいてしまいました。久しぶりの雑記でございます。

まずはじめに、現在DMM様にて発売中の『Hypnotic Dystopia TypeA』が、
販売数200本を達成いたしましたことをご報告させて頂きたいと思います。
ご購入下さいました皆様、ならびに、Dystopiaシリーズの製作にご協力下さった方々に、
サークル一同より、厚く御礼申し上げます。
当シリーズの続報も近いうちにご報告させて頂きますので、
変わらぬご愛好のほど、何卒よろしくお願い致します。


TAKK最新作となる『Hypnotic TSF』も大詰めの段階。
年末ということもあり、声優様へのご連絡、調整等に手間取っておりますが、概ね順調。
年明け後、ひと段落した折にでも、進展のほどをお知らせできればなと考えております。

さて、今回の雑記は――“TSの魅力って?”というテーマでやってみたいと思います。
TS、もしくはTSFとは、異性への性転換を扱うフィクションである……と、ウィキペディアから引用してみても仕方がありませんので……例によって少し見方を変えて、“TSFとは何か?”を探るために、“これはTSFなのか?”と考えていきたいと思います。
TSFに最も近いジャンルのひとつは、恐らく、『女体化』と呼ばれるものではないでしょうか? というか、これは、ほとんど同義語として扱われているように思われます。実際、この別は非常に曖昧で――語義的なことに限って言えば、TSFは『男性→女性』への変化のみに限ったことではありませんので、『女体化』とは、より限定的な(同時に、無生物などの擬人化の一部も含む多義的な)表現であると言えるでしょうが――本質的な面での話となると、これはもうご当地ルールよろしく、各々のコミュニティー内で線引きするしかないのでは、と思います。一応のところ、二次創作系は『女体化』と呼称するという認識が強いように感じますが、明確に決められてはいないようです。
同じような曖昧さが、男の娘、女装+ショタ、TSFの三者間にも存在します。語義を根拠に、TSFと女装はイコールではないとするのは簡単だと思いますが、しかし、男の娘と女装ショタをイコールとすべきか否かでは議論が発生するでしょうし、また、その男の娘とTSFはイコールになり得るのか否かという点でも、一応の議論は必要でしょう。

そういうわけで……TSモノを出すにあたり、まずは『TAKKのTS観』を明示しておこうかしらと思った次第でございます。専門的な協議を重ねた結果ではありませんので、曖昧な定義になるやも知れませんが、その点は何卒ご容赦下さいませ。
さて、TAKKの考えるTSとは……主に、次の三点に集約されます。

1、性転換そのものに重点を置き、それに関わる心境の変化を追うものである。
2、変化は主観において不可逆的と認識されるものである。
3、基本的に受容的なものである。

1は、よく言われるTSFの定義のひとつですね。つまり、『女性の快感は男性の数倍という話だからそれを体感してみよう!』等というだけのものでは、TSFとしては不十分である……という主張ですね。自身が変化したことによる他者の変化(女性化した場合のよくある例としては、男性からの性的な視線を感じて不快に思うという描写など)や、価値観や性格の変化(細々したもので身を飾り、それを壊してしまわぬように女性らしく丁寧に振舞うようになっていく……あるいは、自身の肉体を自慢げに見せびらかして相手を手玉に取るようになっていくなどの過程の描写)が肝要だと考えます。TSFにおいての性衝動に関することは――3番で説明していますが――あくまでも、そうした心境の変化の副産物であるに過ぎないのだと思います。

2は要するに、某漫画のように『水をかぶると女になっちゃうふざけた体質。……あ、でもお湯かければ戻るよ』というようなインスタントな変化は、TSFとしては好ましくないということです。それはあくまでも女体化、もしくは変身(TF)であって、TSFではないのです。“元に戻ることできる”のであれば、それは、ただ単に特殊能力が付与されたというだけになってしまいます。……例えば、ハリーポッターで透明マントを得た主人公たちは、どうしたところでキャッキャウフフのジュブナイル的な心境でしかありませんが、同じ透明化でも、H・G・ウェルズの『透明人間』(映画インビジブルでもいいですが)で永続的に透明人間でいなければならなくなった主人公の心境はまるで違うわけで……これと同じように、変化の永続性を示唆しない『女体化』、ジキルとハイドのように徐々に蝕まれていくような作品以外の『変身』といったジャンルと、『TSF』というジャンルの間には、交わり得ないハッキリとした差異があるのです。ここで重要なのは、本人が『お湯をかければ戻る』というような情報を得ているかどうかという点です。仮に、例の赤いオサゲの女の子が『お湯をかければ戻る』という情報を知らないのであれば、それはTSFになり得るのだろうと思います。『主観において不可逆的と認識されている』とは、要するにそういうことです。

3でいう『受容的』とは、端的に言うと『相手がそう望んだから、自分はそうなるのだ』という思考のことを指しています。言い方を変えると『滅私奉公』――というと大げさかも知れませんが、ある種の、個の消失。他者(多くの場合、異性)の望みを鏡のように映す存在になるというわけです。ここで重要なのは『受容的である=性的にMである』とは限らないという点です。例えば――『Hypnotic TSF』がまさにそうなのですが――童貞ショタが交尾の仕方が分からず困っているなら、あなたはそれをリードする『年上の女性』となるし、同時に、男性諸氏なら妄想するであろう『どんなにイッても続くセックス』という直球ど真ん中の欲望を(一度、男性側に添付し)実現してあげることによって痴女的な存在ともなるわけです。むろん、相手が精力旺盛な男性で陵辱が好みであると感じられたならば、それに応じて、あなたは徐々に快楽の虜になるといった具合に性質を変化させていくのですが……何れにせよ、TSFにおける自己認識の原点は『相手が望む形』になる傾向があると思うわけです。なぜこんな発想になったかと言うと、台本執筆中、ふと『TS化した後、異性からの誘いを最終的にも拒む場合ってあるのかしら?』と考えたからです。少年誌など、媒体の限界で必然的に拒む形になることはあっても、本質的に受け付けないから最後まで拒み続けるという状況は想像できませんでした。

そんなわけで、総括。TAKKの考えるTSFとは!
女性化というに留まらず、何者をも受け入れる“女神化”――というか、自身の中に存在する(一般論ではなく、あくまでもあなた個人が思い描く)完璧な女性像の投影という意味で――自身の“偶像化”である。

以上でございます。
男性化を考慮に入れていない気もしますが……女性化を女神化とするなら、男性化は“神化”ですので、これは能力拡張などによる全能感の付与(HDTypeB以降のテーマのひとつ)に近いものだと思います。瞑想による変性意識状態、悟り(と感じてしまう何か別の多幸感)に近いものとすると、実現は難しくないと思いますが、アダルト催眠とするべきかどうかが悩みどころ。一応の概略として、仏陀とマーラの話を元にした『ブラック&ホワイト』的な作品は製作予定にありますが、これは神化というより、「ふたなりマーラちゃんが誘惑してきて、その誘いにのってセルフしちゃったらドライ失敗ってゲームは面白いんじゃないの」という感じ。TSFとは完全に別のお話なので、これはまたの機会にでも――

さて、長々と書き記して参りましたが、これが今年最後の更新になるかと存じます。
簡単ではございますが、本記事を、本年ご懇意にして頂きました皆々様へのご挨拶と代えさせて頂きます。
これからも精進して参りますので、来年もご贔屓のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

一年最後が締まらない感じになってしまいましたが、
皆様は、どうぞお健やかに新年をお迎えになられますよう、お祈り申し上げます。

それでは、また来年!(たぶん)
TAKKでした。

作品アイデアその2。

TAKKです。
以前に、作品やガジェット類のアイデアを“雑記”として書きましたが、ちょっとした思いつきなども書き留めておけるように“アイデア集”に分類しようと思います。前回に5つのアイデアを書きましたので、ナンバーは6からとなります。

6:催眠を用いたチャネリング式のスピリチュアル・セックス
チャネリングというと、神や死者、未来人や宇宙人などと(通常の通信手段ではない何らかの神秘的な力で)交信するものですが、そうした神的な存在との繋がりではなく、人間同士で交信してみようというアイデア。言うなれば、スピリチュアルな方式で行うテレホンセックスのようなもの。もう少し具体的に説明すると……まず作品の内容はあまり突飛ではないもの、ただし導入後のプレイパートを『責め』と『受け』で大別し、さらに行為によって細かく区切ったものになります。使用者は区切られたそのファイル類から、まず受けか責めかを選択し、それから個々のファイルを組み合わせてプレイ内容を自由に構成します。その上で、SNSやWIKIのようなものを介して、『受け、○月○日の○○時から、ナンバー01、02、06、08の組み合わせで視聴します』等の告知を行い、これを見た『責め』側の誰かが相手役に名乗りをあげればカップリング成立。名乗りをあげた側は、相手が提示しているナンバーの通りに(ただし、こちらは『責め』フォルダから)選択し、指定している時間に再生するのです。こうして同時刻に変性意識状態を形成し、繋がりを感じ合おうという作品。相手のイメージ像などの助けとして、SNSと同様に、プロフィールを作成して登録しておく形にできればベストでしょう。ただし、テンプレートを用いるなどして、告知と相手役の立候補以外のコミュニケーションは取らない(取れない、取る必要のない)形が望ましいでしょう。また、導入と深化の時点でアバターのように自分の姿を好きに作ることができる内容にしておけば、プロフィール登録があっても匿名性が維持されるほか、男女の別なく使用できるという利点も生まれるかもしれませんね。ただこれは、『実際に精神波のようなもので交信するのだ!』というようなものではなく、あくまでも個人個人の中に相手のイメージ像を取り込んで、そのイメージ像と想像上で戯れるという、擬似オンラインを想定したものになるかと思われます。

7:“フェアリー”をメインにした作品
現在製作中のTS作品『Hypnotic TSF』内に“妖精”が登場するため、いろいろ調べ物をしているうちに思いついたアイデア。妖精というと、羽の生えた小さな少女のようなイメージを持つと思いますが、フェアリーという言葉には、この“妖精”のほかに、ノーム、あるいは人の形ではないものを指す“精霊”という意味に加えて、(エーテルのような)科学的ではないエネルギー全般のことを指す意味など、いろいろあるのだそうです。そのフェアリーの訳語のひとつとして面白いなと思ったのが、“半知性体”や“半知性的エネルギー霊”という言葉。半知性体などと言われると、わたしなんぞはファンタジーではなくSFっぽさ――いわゆるセンスオブワンダーを感じ取ってしまうわけですが、そうした魅力的な要素をメインテーマにした作品をひとつ作りたいなと思った次第でございます。フェアリー化して、神聖な森のなかの湖に浮かぶ蓮の葉に寝転んだり、とても小さな玩具のバスタブに、湯ではなく陽光をためて日光浴したり、あるいは妖精となって仲間とネコじゃらしでくすぐりあったり……ああ、心が浄化される。と、思わず感じてしまうようなもの。問題は、アダルト音声とするか否かという点。TAKK作品はエロパートが少しばかり下衆いという風に自認しているのですが、そこを上手く変質させられるかがポイントでしょう。白と黒は並ぶと互いを引き立て合うというわけで、我々の影を色濃くするためにも、純粋無垢で光輝いているような作品を一本は作りたいなという目論見。また、これはファンタジー作品というよりも、イギリスの伝承を題材にしたような、神秘主義的な作品にできればいいなとも考えております。

8:ミイラをテーマにした作品
TSモノのアイデアとして生まれたもののひとつ。催眠の導入として、香油を塗られたり包帯を巻かれたりする儀式の過程は組み込み易いのではということと、生まれ変わる、転生するという宗教観念が、TSに向いているのではないかという発想から。オリエンタルな雰囲気をもったものは扱いが難しいように思いますが、いつか生かせればなというところ。以前に少し書いたネイティブアメリカンを題材にした作品と共に、オリエンタルシリーズとするのもいいかも知れませんね。(ネイティブアメリカンはオリエントじゃないだろという指摘がメンバーから出なければ……)

今回は以上です。
それでは、また次回!
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