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現代催眠について。

TAKKです。
今回の雑記は、催眠の技法についての考察です。
手法や定義に関することですので、純粋に催眠音声を楽しみたいユーザーの方は、今回は、お読みにならないほうが良いと思います。

さて……皆さんは『現代催眠』という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
米国臨床催眠学会(ASCH American Society of Clinical Hypnosis)の創始者であるミルトン・エリクソンの手法を用いた催眠に対して、多くの場合、この言葉が用いられます。エリクソン催眠は様々な点においてエリクソン以前の催眠とは異なるので、区別するためにこう呼ぶのです。
エリクソン派の主張に反論する方々(わたしも一部においてはそうですが)にとって、この『現代催眠』という言い方はあまり好ましいものではないようです。何故なら『現代催眠』という言い方は、自動的に、エリクソン以前の催眠を古い催眠だとか、『古典催眠』としてしまうことになるからです。ちょうど『旧約聖書と新約聖書』という呼び方や区別の仕方へのユダヤ教徒側の憤りに近いものがあるというわけですね。そうした小さな反論はあるものの……この雑記内では便宜上、エリクソン催眠を現代催眠、それ以前のものを古典催眠と呼称することにします。その点、何卒ご容赦下さいませ。

それでは……まずはじめに、エリクソン氏に関する基本的なことから。
第一に、エリクソン本人が自らの手法についてを語ったり、記したりすることを嫌っていた節があるためか、彼一人の手によって書かれた出版本は一冊も無いということを理解しておかなければいけません。(共著という形で書かれたものや、論文などは存在します。また、これはエリクソンが患っていた身体障害もひとつの要因になってはいるのだろうと思います)――エリクソン本人による記述は非常に珍しく、わざわざ“付録”と銘打っているものもあるほどです。この点は、エリクソンや現在催眠を理解するのに重要な観点のひとつです。言うなれば、仏陀や、聖書の中の神の言葉と同じで、愛弟子などが「彼はこんな風な考えらしいよ」と伝えているというのが実情です。ただし、共著でないものでも『本人が書いたわけではないが、本人が目を通したうえで太鼓判を押した』という本や、エリクソン本人のカウンセリングを記録したCD(テープ)などは存在します。何れにせよ、一人を挟んで伝言ゲームをしている状態で声が届くようなものであり、どうしてもエリクソン個人の本意が読み解き難いものであるのは確かなのです。
そもそものところ……エリクソン本人は、自身の催眠手法を体系化していなかったように思います。それは自転車の乗り方や楽器の弾き方のようなもので、本人にとっては『出来て当たり前』のことであるため、『何をどうすればそうなるのか』を言葉で説明することは難しかったのでしょう。また、あとでお話しますが、現代催眠の定義からしても、『手法を伝える』ということは難解だったのだと思います。実際、オハンロン氏のワークショップ(実際に体験できる講座のようなもの)の記録をまとめた『ミルトン・エリクソンの催眠療法入門―解決志向アプローチ』という一冊の中で、あまりにも皆から催眠手法についてを問われるのでエリクソンは少しうんざりして「だってそうなるでしょ?」と応じていたという話や、トランス状態の定義を問いかけられた際には『体験してみれば自ずと分かることだよ』という趣旨の答えを返していたという記述があります。これは、個人的には日本の職人のようなもので、「教えてくれ? ばっきゃろ、見て盗みやがれってんだ」的なものだったのかしらと想像したりもしますが、とにかく、エリクソンはある種の天才タイプであったため、現在残っている現代催眠の手法の多くは、そのエリクソンから直接指導を受けたという愛弟子たちによるものであると理解してよいと思います。
さて、そのような現代催眠ですが……何が従来の催眠と違うのでしょうか?
最も大きな違いは、催眠というものに対するスタンスにあります。古典催眠が基本的には『人によってかかり易さがあり、絶対にかからない人というのも存在して、それはもうどうしようもないんです』というものであるのに対して、現代催眠は『かからない人は存在しない。悪いクライアントというものはなく、ただ施術者の良し悪しが存在するだけ』という考えを基本に置いています。この『誰でもかかるもの』という主張の根拠は様々ですが、ひとつには、トランス状態とは万人にとって身近なものであるからというものがあります。退屈な授業や睡眠に入るとき、朝のまどろみ、好きな音楽を聴いているとき、あるいは自転車に乗っているときやジョギングしている際に感じる白昼夢的な時間感覚の歪み(ふと気が付くと目的地近くまで来ていたが、道中の記憶はあやふやというようなもの)など、トランスに似た感覚は誰でも経験したことがあるでしょう。これを例にして、『トランスに似た感覚は誰でも経験したことがある、ゆえに、それを喚起するように誘導すれば誰でもトランスを感じることはできる』ということなのだそうです。ただし気をつけなければいけないのは、エリクソン派は『現代催眠であれば、誰でも催眠(トランス)にかけることができる』と言っているだけで、『催眠は誰にでもかけられるものである』と言っているわけではないという点です。そして、『喚起するように誘導すれば~』という点において、次にあげるような現代催眠の形態が必要になるのです。
現代催眠の特徴として有名なのが、許容的表現(~できます。~できるでしょう。~かもしれません。などの言い回し)でしょう。ですが、これはどちらかというと催眠そのものの手法に近く、現代催眠の主とするところではないように思います。現代催眠の大きな特徴とするのであれば、『観察』と『利用アプローチ』という2点のほうがより重要であると言えるでしょう。
『観察』というのはそのままの意味ですが、最も重要な点であると言えます。エリクソンは特に『観察』というものを重要視していたのだそうで、これを端的に説明するものとして、エリクソンに直接学んだ一人であるユング派の分析家・アーネスト・ロッシーとの話があげられます。エリクソンが被験者に催眠をかける場面に立ち会っていたロッシーが、ふと天井に目をやり、『彼はどのようにそれを行っているのだろうか』と催眠理論に関していろいろと考察していたところ、エリクソンに肘でつつかれ、次のようなことを言われたそうです。

「天井に患者はいませんよ。ロッシー博士、彼女(被験者)の顔を見なさい」

さて……このことからも分かるように、エリクソンは、理論というものにあまりこだわっていないか、それよりも臨床における実際的なことを重視しているように見受けられます。それは『利用アプローチ』という手法に通じるものでもあるでしょう。
利用アプローチとは、簡単に言えば『患者の示した反応は何でも利用する』という考え方です。有名なところではエリクソンを紹介する際によく引用される『椅子に座りたがらない患者』への対処などがあげられますが、それ以外ではオハンロンの『クスクス技法』などが良い例だと思われます。クスクス技法とは、学校恐怖症を患っている10歳の少年に対してオハンロンが数唱技法(音声作品では一般的なカウントダウンなどのこと)による催眠を施そうとしたところ、少年が(緊張からか、意識し過ぎたせいか)クスクスと笑いだしてしまったことから生み出されたものです。従来の催眠であれば、なるべく笑わないようにそれとなく促す場面なのでしょうが、オハンロンは逆に“笑い”を利用することにし、「18、笑っているのはトランスに入る一番いい方法かもしれません……17……と言うのも、大人は催眠というものを堅苦しく考えすぎる傾向にあってね?」などと続けます。つまり、笑いを拒絶せずに導入に取り込んで“利用”したのです。そうすると、カウントが5になったところで笑いがおさまり、少年は静かにトランスへと入っていったのだそうです。驚くべきはその後のことで、治療を終えた少年のトランスを解くために1~20へカウントしていくと、数字が5になったところで少年は再び笑いはじめ、その笑いは20になるまで続いたと言うのです。……さて、この話は本当だと思いますか? 中には『そんなのありえない』と思った方もいるでしょう。しかし、真相はどうであれ……オハンロンはこの記録を紹介した後に、次のような趣旨のことを述べており、それが現代催眠において最も重要なものであるとわたしは思います。

「この技法は『クスクス技法』と言います。しかし、これは私の技法ではありません。他の人の技法でもありません。これは少年の技法、彼だけの技法なのです」

――これは現代催眠の定義、現代催眠がなぜ『誰でも催眠(トランス)にかかることができる』と主張するのか、そして、どうしてエリクソンが手法を問いかけられるたびに面白くなさそうな顔をしたのかが良く分かる一文だと思います。現代催眠とは、観察によって得たすべてを利用し、個々にチューニングすることにより、被暗示性など関係なく催眠(トランス)に誘導するというものなのです。

さて、察しの良い方などはすでに不思議に感じていらっしゃるかもしれませんが……ここまで書くと、ふと、ひとつの疑問が思い浮かびます。それは『現代催眠を用いた音声作品は創作可能なのか』という疑問です。この雑記を書くきっかけでもあるのですが、何度か「あなたの作品は現代催眠なのですか?」と聞かれる機会がありました。ですので、この場をお借りしてお答えさせて頂きたいと思います。
TAKKの催眠作品は厳密に言えば現代催眠ではありません……というよりも、個人的な見解では、『現代催眠による音声作品』という言葉からしてすでに矛盾を孕んでいるように思われます。何故なら現代催眠とは、前述の通り、意識的なものであれ、無意識的なものであれ、『クライアントからのレスポンス』を必須とするものだからです。その作品を聞く人物が過去にトランス経験があるのか否か、または(過去の経験を喚起するために必要な)年齢の情報はおろか、場合によっては性別さえ限定できない上に、その視聴中の反応を観察することも適わず、当然『利用アプローチ』など取りようもないというのであれば、どれほど許容語を含んでみたところで、それは『許容的アプローチによる催眠』か、『現代催眠“風”催眠』でしかありません。当然、エリクソンの系譜という意味での現代催眠ではないのです。……語弊がないように付け加えると、「現代催眠“風”催眠だから効果はない」ということではありません。これは定義の問題というだけのことで、製作中のものも含めたTAKK作品もまた『現代催眠“風”催眠』だと言えます。この点は、先にあげた『許容語や許容的表現』や『分割と前提』などの催眠の手法の紹介にからめて、また別記してみたいと思います。


長くなりましたので、今回はこのへんで。
それでは、また次回!
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