FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

催眠暗示の定義と限界の模索。

TAKKです。
最近の雑記はアイデア一覧が続いていましたので、今回は久しぶりに催眠に関する考察を記してみたいと思います。雑記全般に言えることですが、書く内容を事前に決めているわけではないので、話の筋がナックルボール並にブレるかも知れません。そうなったらゴメンなさい。

さて、それではまず……催眠とは何か、そして、催眠はどこまで出来るものなのかを考えてみたいと思います。
催眠とは何かというテーマは、たしか第一回目の雑記でもやったように思いますので、少し趣を変えて……『これは催眠と呼べるのか』という考え方でやってみたいと思います。これは催眠と呼べるのか……例えば、洗脳とマインドコントロール(以下、MC)は催眠の一種なのでしょうか。辞書によると、催眠とは『眠くなること。薬や暗示などによって睡眠に似た状態にすること』なのだそうです。この『睡眠に似た状態』が変性意識状態のことを言っているのだと仮定すると、洗脳とMCの最も大きな違いは『肉体的な強制力(暴力、脅迫、薬物など)を用いているかどうか』ですので、辞書(大辞林)の定義では、両方とも催眠暗示の一種であると言えるようです。……また、MCに関する有名な書籍のひとつである『マインドコントロールの恐怖(スティーブン・ハッサン著)』の中でも語られていますが、『教育』というものも、見方によればMCの一種であり、催眠暗示の要素を含んでいるものだと言えます。(ただしスティーブン氏は著書の中で、『教育もマインドコントロールでは?』という問いに対して、MCの定義との類似点がいくつかあることは認めながらも『それは違う』という趣旨を述べておられます。このMCの定義のほかに、カルトの手口なども詳細に書かれており、とても面白くて参考になる一冊ですので興味のある方は是非)

……と、こうして『洗脳やMCも催眠暗示の一種である』とすると、とある疑問が頭に思い浮かびます。それが、催眠はどこまで出来るものなのか? という次のテーマです。

皆さんは、『催眠によって自殺や殺人を実行させることはできない』というような話を耳にしたことはありませんか? これはつまり、『催眠を用いて、被術者に(無意識においてさえ)望んでいないことをさせるのは不可能』という理屈から来るものです。催眠になんてかかるものかと思っている人間に催眠はかけられない、というわけですね。……確かに、それはそうなのでしょう。よく『催眠なんてインチキ。オレがかからないことを証明してやる』というスタンスでやってくる方がいらっしゃいますが、以前の雑記でも言った通り、そもそも催眠とは被術者の中に存在するものを拡大、あるいは制限する術であり、被術者の中にまったく存在しない要素を(薬を投与するがごとく)施術者が外部から加えてやるといったものではないのです。であるから、『自殺や殺人のような行為をさせることはできない』という話になるわけです。
……しかし、それではMCや洗脳を用いる破壊的なカルトが関係している数々の事件は、どう説明すればよいのでしょうか。リンチによって殺害し、劇薬を用いて虐殺を行い、数百人の信者らに集団自殺を実行させる……すぐに思いつく有名な話だけでも、催眠には出来ないことをいくつも行っているように思われます。……ということは、MCや洗脳は催眠の一種ではないのでしょうか。あるいは、催眠によって望んでいないことを実行させるのは不可能という話が誤りなのでしょうか。
いえ、決してそうではありません。MCと洗脳は催眠行為の一種であるし、望んでいない行為を催眠によって実行させることはできない……この矛盾しているように思われる二つの点は、三つ目の点を打つことによって両立させることができます。即ち、催眠とは『ある物事に対する認識を錯覚(強化、弱体、変質)させることができるものである』という点です。
つまり、個人的な見解として結論から延べますと、催眠とは『鍵穴を変えることで扉を開ける万能キー』なのです。分かり易い例として、先にあげたカルト関連の暴力的な行為をあげますと、殺人や虐殺は“救済”という形で、集団自殺は“解脱”や“祝福”という形で実行される(させる)ものであり、それは実行者……つまりは被術者からすれば『殺人』や『自殺』ではない何らかの『聖なる行為』であるから『本人が望んでいない行為』には該当せず、実行可能……というわけなのです。
物事の本質を錯覚させることで実行させるという手法は、何も特殊なことではありません。どのようなカルトであれ、テロリスト集団であれ、または、どのような国家、組織、団体……あるいは個人においても、脳機能がすべて正常である限り、行為の正当化を行わずに何かを実行できる人間は存在しないのです。この点で重要なのは、健常者であれば、どのような行為においても正当化は必ず行うものであるということ、正当化は“実行前”に行わなければならず、“実行後”に正当化するのは非常に困難であるということです。正当化を行わずに望まぬ行為を実行した場合、人の心は大なり小なり何らかの不具合を引き起こしてしまいます。……マインドコントロールを解除することが難しい理由は、多くがこのことに起因しているのです。(過失によって意図せず誰かを傷つけてしまった、もしくは殺めてしまったという場合の人の反応を考えれば、これは感覚的に分かり易い話ではないでしょうか。過失事故を起こしても悪びれない人間はいるだろうと思うかも知れませんが、そうした“アウトローのように振舞う”という行為もまた、実行後の正当化のひとつの形だと言えるでしょう)

ここまでの記述をまとめると、要するに催眠とは――『薬や暗示を用いて睡眠に似た状態にすることであり、MCや洗脳もこれに含まれ、被術者が望んでいない行為を実行させることはできないが、その行為の本質を被術者に錯覚させることは可能なものである』――となります。
……さて、こうなると気になることがひとつ。本人の望まぬ行為を実行させるために必要な時間(錯覚させるのに必要な時間)はどれぐらいなのか、という点です。もちろん個人差はあるので、何年かけようがダメな人はダメなわけですが、平均するとだいだい三ヶ月必要だとか、いやいや一日あれば十分だよとか、正確なところは何も分かっていないのが現状です。ただハッキリしているのは、監獄実験では6日以内に、ミルグラム実験においては即座に『正当化』が行われ、行為が実行されたということ……閉鎖的な環境などの適切な条件さえ整っていれば、多くの人は非常に短期間のうちに『本当は望んでいないこと』を実行してしまうものなのだということです。

最後に、言い添えておきますが――先にも述べましたが――教育もひとつのマインドコントロール。これは言い方を変えれば、MCとは使い方次第で社会的にも個人的にも、とても有益な効果をもたらすことができるものであるということです。だから大事なのは、自分は何を求めているのか、それをしっかり自覚するということ……そうでなければ、それが意思に反するものであるかどうかの判断など出来るわけもありません。良いも悪いもリモコン次第、“げに恐ろしきは人の心なり”――とは、羅生門の一文だったか。いや、“恐ろしきは人の業”だったか。確かに見たはずのものが思い出せないとは……いやはや、まったく、げに恐ろしきは顕在記憶の不確かさなり。こうなると次回は、この顕在記憶(頭に記憶されている、一般的な認識で言うところの記憶そのもの)と潜在記憶(体で覚えているといったような、意識下の記憶)の差を利用した催眠暗示の可能性についてを書こうかしら……と、そんな記述を残すのも、ブログという名の外部記憶に依存した、げに悲しきこの不確かな心ゆえのことでございます。

そんなところで、今回は終了。
それでは、また次回!
スポンサーサイト
[PR]

デリヘルもソープもイメクラも気に入った子がきっと見つかる
超大型リニューアル中の大好評風俗情報サイト!
最新記事
最新コメント
カテゴリ
検索フォーム
リンク
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。